5月5日14:42 能登半島で地震発生
昨日、5月5日14:42に能登半島で大きな地震がありました。
輪島は震度5弱、輪島から車で一時間くらいかかる珠洲では震度6強でした。
5弱と6強ではエネルギーの大きさが50倍以上も違うと聞きました。すごい差です。
私は何をしていたかというと、五階の掃除をして軽トラにゴミを積んでいたところでした。軽トラと一緒にぐらぐらっと横に揺れました。
電線がビュンビュン揺れた!
えっ?!なに?と思って空をちょっと見上げたら電線がビュンビュンといって縄跳びの縄のように揺れていました。揺れが長く続いたので揺れが止まっても自分の体の中が波のようにしばらく揺れていました。
ほんのしばらくして、家の中に入り被害を確認しました。幸い、なにも被害はなく、安心しました。
五階の掃除した部屋を最後に恐る恐る見に行くと、壁面が少し壊れていました。荷物やゴミがある状態でこの地震だったら量も量だけに掃除する氣もおきなかったかもしれません。
いつか使うつもり、の30年分の重さは、、、
30年にも及ぶゴミはいつかは使うはずと思ってたまりにたまって、なんと2トン!
荷物やゴミが家の一番上にある状態で揺れていたら家の内部の大きな崩壊につながっていたのではないかと思うとゾッとします。ある意味、危機一髪でした。
いつかは使うと思ったものは使わないということがよくわかりました。
確かに能登半島なのですが、、、
テレビでよく言う能登で地震が発生というのは範囲が広すぎて他の地域の知り合いの人たちに余計な心配をかけてしまいます。
能登半島の○○市で震度○○というように具体的に知らせてもらえれば、その土地やそこに住む人を知っている人達にとっては、安心の材料になるのではないでしょうか。
能登半島地震では輪島は震度6強でした
そういえば、輪島でも震度6強の地震がありました。平成19年3月25日9:41のことでした。家族で近くの河川敷で犬の散歩をしていた時でした。
山鳴りがゴーッとしてそのあとグラグラッときました。突き上げるような揺れのあと横に揺れ、川の水がバスタブの中の水を波立たせたようになっていました。電線もビュンビュンと波打ちその場でみんなでしゃがみこんだのを覚えています。
漆はこぼれ、屏風は倒れて、、、
会社の倉庫や展示場は見るも無残な状態でした。倉庫では漆がこぼれて木地は割れ、積んであった塗り物はみんな倒れました。展示場では壁が大きく崩れ輪島塗の棚や屏風、衝立、座卓の上に倒れていました。掃除をする氣もなくなる一撃でした。
あと片付けのせいで首の筋がおかしくなり病院に行ったことを今でも鮮明に覚えています。もう一度、あんなことになったら片付ける氣はおきずそのまま放置するかもしれません。本当にひどいものでした。今思ってもゾッとします。
しかし、輪島塗は堅牢だった!!
そんな中で、すごいことも発見しました。倒れた輪島塗の屏風が柱に食い込んでいて、これは大変だと思いそっと屏風をおこしました。食い込んだ場所を恐る恐る見てみると、なんと!傷ひとつないではありませんか!
すごい!
輪島塗って本当に丈夫なんだとあらためて確信しました。
そして、柱の屏風が当たっていた箇所は大きく凹んでいました。展示場や倉庫には今でも大地震の傷跡がはっきり残っています。
珠洲の人たちは、度重なる地震のあとの今回の震度6強の地震で、今、復興活動する氣力も失っているかもしれません。追い打ちをかけるように雨がいま降っています。地盤のゆるんだところへ雨です。明日は大雨という予報です。頑張っている人たちに頑張ってとは言いにくいですが、それでもなんとか頑張ってほしいと心から思います。
若島基京雄(わかしまきみお)
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 監査役
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂株式会社 代表取締役