連休中に家族で大掃除
連休中に自宅五階倉庫の大掃除をしました。二日もかかってしまいました。
捨てたゴミや過去の資料、そして、古くなった木箱など全部捨てました。
中には、昔のパンフレットや写真はがきなど懐かしいものもいっぱいありました。私が会社に入る前のパンフレットもあり会社の歴史を感じました。
私が会社に入って35年以上経っていますからそれらのパンフレットは多分40年以上経っていると思います。ということは、、、、
そんな昔からの資料(このあたりからゴミとは思えなくなってきました)が現在に至るまで40年以上も延々と受け継がれて(放置かも)きていることに感慨深いものがあります。ひとつひとつがかつて日本全国を駆け巡った強者なのです。
輪島塗の全盛期時代のなつかしい話
このころは輪島塗全盛期で能登半島の輪島から全国の百貨店へトラックや貨物車を10台以上も駆使してその時代と全国を駆け巡ったのです。
そういえば、輪島塗展をしていて会期前半で座卓を売り切ったので追加の座卓を数十本トラックにのせて徹夜で運んだことも何度かあったそうです。
道も現在のように整備されておらず、東京へ行くとなると、長野くらいで一晩泊まって東京へ入っていたころです。それなのに百貨店の開店まえに座卓を届けて、更に陳列しなくてはいけないのです。
運転は二人で交代しながら徹夜でぶっ飛ばして行ったそうです。今では考えられな話です。ふと、五階の山積を見るとみんなの楽しげな声が聞こえてくるようです。平家物語の序文(祇園精舎の鐘の声、、、、)を思い出してしまいます。
思い出にふけりながらも感謝を込めてほとんど捨てました。
処分せずに残したものは
残したものは、一部のパンフレットとハガキ、そして、探していた包装紙です。包装紙についてはまだあったはず、、、と会社中を探し回っていたのですがどうしても見つからず記憶違いかと諦めていたのです。
日本産漆の桶も20個以上ありました。漆桶は以前欲しいと言っていた輪島の漆器屋さんにあげました。
総重量は、なんと!2トン!
そりゃあ、へとへとになりますわ。軽トラ6台分でした。
パンフレットは資料として保管します。
ハガキは200部以上ありました。能登の風景写真ハガキで今では絶版の珍しいものです。これは今後の大雅堂プレゼント企画に使おうと思っています。皆様!お楽しみに!
大掃除のおかげで良いことが!
私は鼻の調子がよくなくて副鼻腔炎の手術をしたのですが、まだ完治に至らず(私のは治りにくいほうの鼻腔炎だそうです)病院に通っていますが、この掃除をしたあとは非常に鼻の調子がいいのです。
以前、家は家主の体と同じだと聞いたことがありますが、まさに人が立った状態での頭の部分にあたる五階を掃除したおかげで空気の通りがよくなって私の調子もよくなったのではないでしょうか!
この調子だと頭もよくなったんではないかと思ってしまいます。いよいよ、覚醒か!(なにに覚醒なのか定かではありません)
よく考えてみると、はやっている会社の見学に行くと会社がきれいに整理整頓されていました。
これか!
まだまだ整理整頓されていないところがいっぱいありますので早くやらなくてはいけません。
大切なことです。
若島基京雄(わかしまきみお)
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 監査役
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂株式会社 代表取締役