売れなくなってきた輪島塗
輪島の人口は現在(2017.9.1)で27961人です。 2006年4月1日は34511人でした。 2035年の予測は17452人だそうです。今後、 約10年間で現在の人口の62%まで減ると考えられます。 輪島塗の業界は職人不足で悩んでいます。 10年以上前から画期的な打開策も無くずるずると今があります。 平均的に考えた場合、今後10年後には職人さんは約40% 減ってしまいます。 このようになってきた一番の理由は輪島塗りが売れなくなってきた という事です。
ピーク時は160億円あったと言われていますが、 現在は約60億円と言われています。 実際はもっと少ない感があります。 昭和44年頃から全国の百貨店で輪島ツアー、 展示会が催されるようになり売り上げが伸びてきました。 昭和60年頃に展示会での売り上げが伸び悩むと外商との外販が行 われるようになりました。上得意様への訪問販売です。 そして訪問販売、ツアー、 展示会という流れの中で売り上げが伸びていきました。
しかし、 これも平成10年頃から百貨店の閉鎖や統合などにより売り上げが 急落してきました。現在も百貨店での販売は続いていますが、 百貨店自体に経費がかかる展示会は無くなってきており、 百貨店にとってあまり経費のかからない訪問販売方式が主流となっ ています。また、 輪島塗のように注文を受けて半年もかかるようなものは外商さんも 売りたくなく、 成績にすぐ影響する即納商材を求めるようになり輪島塗はそう言っ た意味でも敬遠されるようになりました。
お客様の生活様式もどんどん変化しています。昭和44年〜 昭和60年頃は自宅で接待や行事を行なっており、 座卓などの家具や揃いの椀、膳、重箱、 屠蘇器などが数で売れていきました。その後、 家具の売れ行きが減っていったため、 お客様用から自家使用へと勧める商品を変えていきました。 床間や玄関を飾る香炉、風鎮、卓、などの高額商品も製作され、 バブル時代も重なったため売り上げは伸びていきました。
しかし、 平成10年頃から少しずつ売り上げが減っていき、 画期的な対策を生み出すこともできないまま今に至っているようで す。昔からのお客様は家中輪島塗でもう買うものがなく、 代も替わったりしており、 そういったお客様にお納めする商品がないのです。 百貨店での新規お客様が少ない事、 輪島塗の新商品がない事などが売れない理由の一因となっています 。
輪島塗職人の技術を鍛えるには画期的な売れる商品が必要です
贈答品ではかつてはお盆、花器、漆芸額 、菓子器などがどんどん売れました。 それぞれがお客様のニーズにあった商品でした。高額品では座卓、 香炉がよく売れました。それに合わせて飾り棚、屏風、卓、 香合などの関連商品が同じように売れていきました。また、 嗜みとしての茶道が盛んだったため、茶道具、特に棗(なつめ) がよく売れました。今は何が売れるのでしょうか。 業界はここ十数年、ずっと迷走しています。
かつて腕の良かった職人さんたちはこうした数物に支えられて技術 を磨きましたが、最近はこのような需要はほとんどありません。 そのため昔の方式での職人づくりは不可能となっています。今は、 蓄積されてきた素晴らしい宝物を切り崩している状態と言えます。 数もので腕を磨いた職人さんがいるから今も一品物の逸品も作るこ とができるのです。 ある職人さんは今の若い人たちはかわいそうだと言っています。 腕を磨く手段がない、と。
でも悲観することなかれ、 数もので技術を磨かなくてもいいのです。 そのような注文は滅多にないのです。しかし、 地道な基礎修行は必要です。 そうやって努力して成功している人もいます。 これからはそのような人たちの独壇場となるでしょう。早く、 職人になりたい人、才能のある人を見つけなくてはいけません。
どこかに高級品や数物を発注してくれるお金持ちはいないかなぁ〜
職人を育てるには、物を作らないといけません。 輪島塗を残すには物を作らないといけません。 作り続けなくてはいけません。
江戸時代は大名や豪商が輪島塗職人を育てた
江戸の頃には大名や豪商が職人を育てました。 漆器は自慢の逸品であり富の象徴だったために育ててくれたのです 。今、漆器を知っている人はどれだけいるでしょうか。漆って何? と言う人も多いでしょう。 普段の生活の中で漆器は目につかないものになってしまいました。 お客様が欲しいものさえ考え出せない私たちが言うのも変ですが、 他にいいものがたくさんある世の中になったのです。
しかし、それでも最初に考えなくてはいけないことは、 何を作るかです。
輪島を漆器の聖地にする
輪島は輪島塗りで生きてきましたが、今、 産地として生き残ることができるかどうかの岐路に立っています。 木地職人、下地職人、研ぎ職人、上塗り職人、呂色、 変わり塗り職人、蒔絵職人、沈金職人、、、 どんどん少なくなってきています。 輪島の現在の需要では各職人を維持できなくなってきたのです。 ある木地屋さんに聞けば、 他産地や他業種からの発注も多いと言っています。 呂色の職人さんも他産地からの発注は来ると言っています。 みんな輪島に発注するのではなく輪島に住んでくれないでしょうか 。輪島から漆器に関する全てを送り出す。 もうそんな時期が来ているのかもしれません。
日本の全職人! 輪島に集まれ〜!です。漆器だけでなく金具職人や漆屋、 漆かき職人もヘッドハントです。 若い人が見つからなければ今いる日本中のすべての職人に移住して もらうのです。 輪島市も一緒になってIターンとかいって優遇措置をとってもらう のです。 早く名乗り出さないと輪島以外の産地が連合するかもしれません。 そして漆器と漆の町輪島として聖地化するのです。
漆の木の改良 研究所開設
昔からなんでも都合のいいように人は改良して来ました。 お米だってきゅうりだってナスだってキャベツだっていろいろあり ます。 漆の木も早く育って漆がいっぱい取れて品質がいいものにできない でしょうか。できるものならやってみたいものです。 今は中国産に頼りっぱなしで将来どうなるかわかりません。 日本産の漆だって足りません。文化庁が重要文化財、 国宝などの修復に国産漆を使うといっています。 私達のところへはなかなまわってこなくなります。
輪島を改良漆の里にするのはどうでしょうか。 まずは研究所を作ります。文化庁や通産省、 文科省から予算を出してもらって県市挙げてどこかの大学と共同で 開発するのです。近大かなぁ〜。 これも早くやらなくては誰かにとられてしまいます。
[これからの大雅堂]
輪島塗は7回完成すると言われています。木地、一辺地、二辺地、 三辺地、中塗、上塗、呂色です。 研ぎも入れれば大雑把でもあと6回プラスです。 各工程が素晴らしいのです。 これらの工程の一つを使って商品を作るのもいいと思います。 蒔絵は、 研いだり摺り漆をしたり磨いたりしなくてはいけないため背景とな るもの自体が漆である必要があります。 手の込まない蒔絵や絵そのものを囲って炭やペーパーなどの研ぎ傷 が入らないようにできる場合は別として、 いい蒔絵は漆の上に描かないと綺麗に仕上がらないのです。 しかし、 出来ないものをできるようにすると道が拓けてくるというものです 。 沈金は彫ることができて漆との相性がよければ素晴らしいものが仕 上がると思います。
輪島塗の技術を使って漆ではなく異なる素材での商品づくりという のも面白いと思います。
素材、材料を生かす商品づくりも面白いです。木、漆、地の粉、 金、銀、木粉、惣身粉、 米のりなどを単品あるいは各素材を合わせて商品を作ります。 中でも面白いのは輪島以外では手に入らない「地の粉」 を使った商品です。
お金があれば作っておきたいのが逸品、 秀作を次の世代に残すための資料館です。 漆器組合や漆芸美術館と連動したもので貸出可能で組合員はいつで も触ってみることができるようにするのです。 遠くから見るだけではどのように作られているか全くわかりません 。近くで見て触って初めてなるほどとわかるのです。
職人のための資料となる作品の収集も必要です。 輪島塗はもちろん他産地のものでも残しておかなくてはいけません 。 次の世代の人たちのために産地が崩壊しても足がかりを残しておく ことが大切です。
産地の崩壊は、現状の輪島では考えられる未来図のひとつです。
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 組合員
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂 代表取締役