人は、生きるために食する。
食することは、すなわち、命を奪うことです。
人は、植物や動物の命を頂いて生きているのです。
包丁=キッチンナイフとは呼ばせない
食するための最たる道具が包丁です。
調理することは、まさに、 命を繋ぐための儀式と謂えるのではないでしょうか。
そうであるならば、包丁を単にキッチンナイフと呼ばせない「 重み」が必要です。
日本美術の集大成と謂われる日本刀は、 重厚な佇まいと洗練された美しさがあり、 今も人々の心を捉えて放しません。
そのような力を包丁にも纏わせることが出来ないものでしょうか。
まるで日本刀のような「まぐろ包丁」
日本刀のような包丁は何処かにないものか探してみると、 ありました!「まぐろ包丁」です!!
なんと刃渡りが60cm以上あり、まさに、「斬鮪刀」です!
まぐろ包丁は、重さもかなりあり、持った瞬間、 背筋がぞっとします。
日本刀とは作り方や使い方が、全く違いますが、 刃渡りの長さ故か「これは切れる、、、。」
という怖さがひしひしと伝わってきます。
日本刀だけではなく、刃物というものは、切る時以外、 抜き身の状態ではとても扱い切れません。
「だから鞘があるのか!」納得しました。
物理的には、切れるから、直接、 刃に当たらないようにするというだけではなく、「命を断ち切る」 という宿命を持つ刀身そのものを休ませ鎮めるためにも鞘は必要な のだと言えます。
日本刀も刀身と鞘のような拵えがあって初めて日本刀です。
すべては、必要あって出来ているということでしょう。
包丁にも、鞘のあるものも存在しますが、 あまり見たことがありません。
しかし、同じ意味では、 拵えとまではいかなくとも鞘は必要なのではないでしょうか。
包丁にも日本刀のように「重み」を纏わせ、 同じように大切にしたいものです。
「輪島塗包丁:maguro sword」近日公開
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 組合員
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂 代表取締役