副鼻腔炎(ふくびくうえん) 闘病記
令和4年に還暦を迎えた、輪島塗の塗師屋・輪島漆器大雅堂(株)の若島基京雄の、副鼻腔炎闘病記です。
令和4年に還暦を迎えた、輪島漆器大雅堂株式会社の若島基京雄です
どうしても治らなかった副鼻腔炎
還暦の年2022年の最初の大仕事は身体のリセットです!
ここ一年くらい薬で治そうしていたのですが、どうしても治らなくて手術に踏み切りました。昨年10月ころに輪島病院に紹介してもらい金沢医科大学病院を訪れました。
輪島病院から予約してもらい、当日、外来担当の耳鼻科の先生と輪島から持っていったデータを基に話をして、その後、日を改めて手術をしてくれる先生と話をして検査を色々しました。手術の日も決めました。
そして、また日を改めて検査の結果を聞き、一週間後にPCR検査、その一週間後に手術となりました。何の手術かと言いますと副鼻腔炎の手術です。
私の状態は、、、
私の場合は、顔面の骨の空洞のところに膿が溜まり、さらに後鼻漏と言って喉の奥に粘い痰が流れて、それを取り去るために咳が出るのです。
このご時世、咳が出るとコロナと間違えられるので何処にも行けないし、行っても他人に説明しなくてはいけないという、本当に肩身のせまい思いをしていたわけです。
だから、知らない人の沢山いる所へは行かないようにしていました。
それでこのままではいけないと一念発起して手術をすることにしたのです。
金沢へ何度か通うことになったわけですが、行く度にお昼はステーキ450gを食べて、晩は焼肉屋さんへ行きました。
何せ、病院は疲れるのです。
わかりませんが、とにかく、疲れるんです。
それでお肉で身体を強化していました。それくらい楽しみがないとねと密かに思った次第です。
蓄膿症(ちくのうしょう)の先輩たちの脅し
副鼻腔炎、つまり蓄膿症の手術ですが、輪島の色々な蓄膿症の先輩方が、わたしを脅すのです。
私が手術の話をすると意外と蓄膿症の先輩がいるのです。
子供の時に結構蓄膿の手術をした人がいて、半世紀以上前の話ですから、上唇をベロンとめくってノミをカンカンカンと打ち付けてヘラの曲がった様なもので掻き出すといった手術です。
手術室はさしずめ大工道具の展示会です。
部分麻酔だったそうで全部何が行われているかわかるそうです。ひえー!です。
その後、ガーゼをいっぱい詰めて縫合するのです。
4、5日たってそのガーゼを出すのがまたももすごく痛いそうです。
山ほどガーゼが出てきて痛いのなんのって涙がちょちょんぎれるそうです。
そんな話を10分も20分も身振り手振りで講談のように語ってくれるのです。
その臨場感のある語りにすっかりビビってしまいました。
また、人間国宝の先生も蓄膿の常連?だったそうで、何回も手術をしたとのことでした。
え?!
そんな何回もあっていいんですか? って思ってしまいました。
人間国宝の先生の手術は、内視鏡下副鼻腔手術の一番初めの頃で、お医者さんに「この治療、私に預けてくれませんか」って言われたそうです。
このお医者さんは現在教授になっていました。この手術方法のパイオニアだそうです。
私はそのお弟子さんに手術してもらうことになるのです。
入院
2月18日!いよいよ入院の日です。
その日はいたって簡単なもので、普通に夕食も出ました。
夜9時以降は何も食べないで下さい。
12時まではお水は飲んでいいです。
翌日の朝8時45分に手術室に行く予定です。
ということで、充分休んで下さいねと言われました。
そんなもうドキドキして寝られんよと思っていたら知らないうちに朝でした。
いよいよ手術です。
なんとふんどしを締めます。その上から手術着を着るだけです。
車椅子に乗って手術室に向かいました。同時に3人くらい同じ手術をするみたいで、さすが大きい病院は違うなと感心しました。
順番に1人目、2人目と手術に行きました。
アレ?私は?
しばらく待っても順番が来ません。
なんと、とうとう、一度部屋に戻る事になってしまったのです。
部屋にいても暇なので、見晴らしの良い休憩室に行ってYouTubeを見ていました。
ま、ふんどし一丁でいたわけで、リハビリの看護師さんがものめずらしそうに見ていました。
手術担当のお医者さんが小忙しそうに私の所へやってきました。
実は、手術担当スタッフにコロナの濃厚接触者が出たとのことで、先生もビックリされたようでした。
これだけ多ければそんなこともあるわとそこまでは落ち着いていましたが、検査の結果次第では出直しということになると言われ、色々予定もあるのでそれだけは勘弁してくださいと思いました。
先生もなんとか手術をする方向で努力しますとおっしゃってくれたので、慌ててもしょうがないと思い部屋で寝ることにしました。
手術着のままで。
いよいよ手術です!
11:15 ぼーっとしていると看護師さんが来て手術室に行きますよと言ってくれました。
やったー!
時間は遅れたものの予定通りで手術が出来ることになりました。
車椅子に乗って、手術室前の待機部屋に入って、名前を呼ばれて、電車に乗る時の改札口みたいなところを通って(この時、部屋から連れて来てくれた看護師さんと手術担当の看護師さんが交代して車椅子を押してくれます)、手術室前に着きました。
麻酔担当のお医者さんや看護師さんが自己紹介してくれて、私がよろしくお願いしますと言っていざ手術室へ!
車椅子から手術用のベッドに移りました。
血圧や脈拍、心電図をとって、酸素マスク。
いよいよ麻酔です。
左手甲側の血管から麻酔薬を入れるようです。
家の長男がどんだけ我慢できるかやってみれと言っていたのでやってみました。
なんだか身体が動かなくなりましたが意識はあったので、まだ意識あるよって言おうとしたらもう既に喋られなくなっていました。
あれ?喋られないと思っていたら、終わりましたよーって言われました。
え⁉ です。
ちょっと長くかかりましたが無事終わりましたよ、なんともないですか?と聞かれました。
ビックリするほどなんともないので、頭も目もなんともないです!先生!天才やわ!と答えました。
先生や看護師さんも喜んでいるように感じました。
部屋を出たのが11:30頃で部屋に戻ったのが16:30頃だったように思います。
実質の手術時間は3時間くらいと言われました。
先生方はその間集中して立ちっ放しで手術に専念しているわけでその体力と氣力はすごいものだと心から感謝しました。
ましてこれをいつもやるとなるとやはり好きでないと出来ない仕事だと思いました。
ありがとうございます!
手術あと、その夜
手術のあとの夜、部屋では血の混じったヨダレと涙との闘いだそうです。ヒエ〜!
ベッドに横になり、酸素マスクを口にあてられました。
注意事項がひとつ!鼻から喉へいく血の混じった鼻水は吐気をもよおすこともあるので飲まずに出して下さいねと言われました。
初めは出しましたがその後は横になるのも面倒でついつい飲んでしまいました。
ずっと同じ格好で手術していたので、首も痛いし腰も痛い!
色々考える自分はなんともなくても、横になるのが面倒なほど身体は疲れ切っていたのです。
酸素のシューっという音を聞きながらあっち向いてこっち向いて大変でしたが、いつ寝落ちしたのか朝になっていました。
酸素マスクを口に当て直していると、あれ⁉ マスクが独立しています。
マスクから酸素を供給する管が抜けていました。
あんなに必死に寝る間を惜しんで口に当てていたはずなのに、マスクだけはめて酸素は吸入していなかったということですね。
は〜。
よく寝られましたかと看護師さんに聞かれ、ハイと答えた次第です。
手術後、はじめての食事
早速、手術明けからの朝食です。
鼻栓してそれも鼻の下にガーゼを当てているので上手く食べることが出来ません。
副鼻腔炎の手術が無事に終わりました
さらに大事件です。
味がまったくしません。
鼻栓のせいで口呼吸しか出来ず、口は開けっ放しなので口内はカラカラに乾いていました。
鼻が詰まった状態の上にドロドロ鼻血もあるので香りもわからず舌の味蕾も乾燥でアウト!
これじゃあ、味はしませんねということです。
2、3日経ったらよくなると思い歯応えと舌触りで食べたおいしい朝食でした。
頭の中で記憶の味を探したのでしょう。美味しいと感じたのです!
おどろいた!
ビックリしたことがひとつあります。
点滴の位置です。
左手の上腕橈骨筋の上の血管に点滴用の針が刺さっています。
この位置はベッドに寝ていてどのように腕を動かしても簡単には当たらないところだったのです。
こんなちょっとしたことでも研究されているんだと思いました。
さらに、私から見たらどこに血管があるのかわからないのに一発で刺さっています。
どうして一発とわかるのかといいますと、針が刺さっている付近に青タンがないからです。
失敗していたら刺した跡が青タンになるのです。
寝ていてわからなかったのですが、どうやって刺したのか見たかったですね。達人技です!
ウイーーン
手術が終わった翌日と翌々日は化膿止めや止血剤、痛み止めなどの点滴がありました。
鼻は手術の翌日までジーンとして痛いのかなんだかわからない感覚が続きましたが、無視出来る感覚でした。
それより首と腰が痛くて痛くて着布団を足の下に置いたり枕を縦にしたり外したり色々やって痛みを和らげていました。
手術の翌々日、ずいぶんと痛みが和らいで氣が付いたのですが、このベッド!なんと!電動で頭の方や足の方がウイーンと上がるのです。そう言えば、点滴の時看護師さんがウイーンと頭の方を上げてくれていました。ま、いかに手一杯だったかがわかります。
痛みも和らいできて見晴らしのいい休憩室へ行けるようになってきました。
全館WiFiがOK!のはずだったのですが、部屋ではまったくダメだったのです。
それで、休憩室へ行くことになるわけなのです。
ずっと部屋で寝ているのもイヤだったので時間があれば行っていました。
病院なので、具合の良くない人ばかりなわけで、休憩室はガラガラです。
ついつい血圧や検温の時間を忘れて休憩室にいたりするので看護師さんが呼びに来たりしました。
そんな時は血圧も高くてビックリすることも何度かあり、検温の時間は部屋のベッドにいて下さいねと言われることもありました。
手術をしてくれた先生が様子を見に来てくれた時も休憩室にいて、元氣そうでよかったですとちょっと探していたような雰囲気で言ってくれました。すみませんでした。
鼻からガーゼを取り出す
手術から3日目、鼻に詰めたガーゼを取り出すことになりました。
あの噂のガーゼベリベリ事件を思い出してしまいました。
副鼻腔炎の先輩方がみな言うところのギャーって叫ぶくらい痛いベリベリ事件です。
受皿を顎の下にくっ付けて少し上を見ます。
すると先生がおもむろにピンセットを鼻の穴に突っ込んで何かをつまんで引っ張り出すのです。
血の付いたガーゼが口からトランプが出てくる手品のようにオロオロオロっと鼻の穴から出てきました。
こんなに入っていたのかと思うほどいっぱい出て来ました。
最後はズポッという感じで取れてその瞬間スカッとした氣分になるのです。
痛さなんて全くなくただ驚くばかりでした。
そのあと、ドロドロの鼻血や脱脂綿を吸引します。
どちらかというと吸引の方がゴツゴツ感があり痛くはないのですがイヤでした。
鼻の奥にくっついてしまった脱脂綿もピンセットで少しずつ剥がすように取り除きます。
これも痛くはないです。
先生が上手いのかも知れませんね。
吸引前にスプレーをシュッとしますがあれが麻酔効果があるのかも知れません。
鼻洗浄
次は鼻掃除の講習です。
実際にやるのではなく要領を教えてもらっただけですが、昔、海で鼻に海水が入ってツーンとなったのを思い出しました。
よく、花粉症の季節になると鼻洗浄のCMが流れますが、絶対あれだけはやりたくないと思っていたことです。
でも、やれという事なので、夕食後、覚悟を決めて温めの鼻洗浄用の塩水をもらいにナースセンターへ行きました。
看護師さんから明日の朝からですよって言われてホッとした自分がいました。
その間の食事ですが、全く味がしません。
これが楽しみのひとつなのに、もう、全く味がしないのです。
鼻から血が流れてくるとよくないので綿球を鼻に詰めていますが、そのせいかもしれません。
翌朝、鼻洗浄の時間がやって来ました。
あったかい塩水の入ったビニール製のボトルの口を鼻に当て怖々ボトルをギュッと握ります。
アーと言いながらやるともう一方の鼻の穴から塩水が出てきます。
鼻詰まりの原因である鼻水混じりの血や血で黒くなった脱脂綿が一緒に出てきます。
その後の爽快感は格別でした。
そして、綿球を鼻に詰めて終了です。これを一日三回食後にやります。
副鼻腔炎の手術後、順調に回復しています
ガーゼを取った次の日から毎朝、先生が吸引式の鼻掃除をしてくれるのですが、これがズズズッ、ゴゴゴッという音がしてスゴイんです。
たまに音がしなくなりますが、これは脱脂綿で詰まったということです。
まだどんだけ脱脂綿が詰まっとるげという感じで鼻の中を見たい衝動に駆られます。
この後、ピンセットを鼻の奥にぐいっと入れて吸引で取れない脱脂綿を摘んで出します。
血が出ないように少しずつ引っ張り出していくようです。
これは鼻の奥を突かれているみたいでちょっとイヤでした。
本当は痛いんだと思いますが、例の鼻スプレーでシューッとやった後なので鼻の奥でゴソゴソズルズルってやっているだけのように感じていました。
コーヒー?
先生にコーヒーを飲んでもいいですかと聞いたら大丈夫ですよと言われたので、早速、1階のドトールへ行って買ってきました。
見晴らしのいい休憩室の窓辺に座り景色を愉しみながら飲もうと熱いのでそーっとひと口飲んでみます。
味が、香りが、まったくしません。
多分そうだろうなとは思っていましたが、フーっとなって氣分はダダ下がりでした。
普段、何気なく食べて飲んでおいしいとかこれはちょっととか言っているただそれだけのことがいかに大切かということがしみじみと解った瞬間でした。
教授回診
月曜日は教授回診の日です。
生徒たちを7、8人引き連れて診察室で待っています。
綿球をとってイスに座ると教授が鼻の穴をグッと広げてスコープで見ます。
そして、みんな見ておくようにと言って順番に私の鼻の穴を見ていくのでした。オモローですね!
教授に担当医の先生が説明した後、順調ですね退院は3日後ですよと言われホッと安心しました。
それから退院の日まで元氣すぎてヒマでヒマで大変でした。
血圧や検温も段々なくなっていきました。
ご飯を食べて、鼻洗浄して、薬を飲んで、朝には主治医さんからズズズッゴゴゴをしてもらいます。
あとは、休憩室でWi-Fiで動画を見ていました。
そして、味もしないコーヒーでした。
それでも、一応、紙ドリップ式だったりドトールコーヒーだったりします。
退院
退院の日、ズズズッを先生にしてもらったあと、お昼ご飯をいただき、支払いを終えて、いよいよ退院です。
ナースセンターへ退院の挨拶に行きました。
皆さんお忙しいようで、お世話になりましたと言っても2人ほどがお大事にって言ってくれただけです。
あんなに親切にしてくれていたのに、わざとそうしているのかと思うほど本当に素っ気ない感じでした。
ま、その方が二度と来るべきではない場所であることを心に決めることが出来るわけです。
そういう事か!と納得してエレベーターを降りました。
ありがとうございました。
一階のロビーでおかあさんが立っていました。
迎えに来てくれたのです。
なんだかうれしくて、それでも周りにちょっと恥ずかしいので、さささっと手を振りました。
ふが
退院して3日たち、鼻洗浄をしている時です。
あれ⁈おっ!なんだか匂いがするぞ!と氣付きました。
そのあと、ゆっくりご飯を食べてみました。
鼻からふーっと息を抜くと、なんと、いいふががします!
ふがとは輪島弁で、香りに味も少し乗っかっているという独特の表現です。
味も香りも戻ってきました!
なんと幸せなことか!
副鼻腔炎の手術後、幸せをかみしめています
健康であることが一番であると心から思いました。
身体は借り物とよく言われますが、身体の各器官と各細胞、身体を形作っているあらゆる皆さんに心から感謝して大切に付き合っていこうと思った次第です。
ありがとうございます!
輪島塗の世界をのぞいてみませんか 輪島漆器大雅堂(株)
還暦に赤い椀
還暦祝いに輪島塗の赤い椀「120歳まで使ってね」
還暦に赤い椀、いいですよ。これはおすすめです。
ふが。
若島基京雄(わかしまきみお)
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 監査役
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂株式会社 代表取締役