輪島塗の掛け軸。おもしろい、珍しい輪島塗でできただまし絵の変わり掛け軸。
またしても面白い輪島塗ができました。
一見、ふつうの掛け軸。でも、よ~くご覧ください。
掛け軸の絵ばかりでなく、表装の部分も全て蒔絵で描いてあります。
上部・中央部(掛け軸の絵の部分)・下部の3つに分かれる「板」を組立てたものに、
「掛け軸の絵」を蒔絵しました。
蒔絵の題材は、鍾馗(しょうき)様。鍾馗(しょうき)様は、いったい何をしているのでしょう?
不思議な格好の訳を、下にご説明申し上げます。
何かしでかそうと、掛け軸の画面から抜け出した小鬼たち、それを追うべく画面を抜け出し、
抜き足差し足で画面の裏側を伺おうとする鍾馗(しょうき)様。
小鬼たちは、追ってくる鍾馗(しょうき)様におそれをなし、表装の風帯にぶらさがり、困惑した表情で、鍾馗(しょうき)様の動静をうかがう。
鍾馗様とは?
鍾馗は、疾病よけの守り神。
鍾馗とは、中国・唐の玄宗皇帝の夢に現れた美波山の進士で、天下の貧乏神を祓い、魔を除くという神。
鍾馗の像は巨眼多髯・黒の衣冠をつけ抜剣して小鬼を捕らえる態に描かれています。
鍾馗様を、幟(のぼり)に描いて端午の節句に飾り、男児の幸せを願います。
玄宗皇帝が病臥中、夢に小さな鬼が現れた。
小鬼は、慌ただしくそこら中を跳ね回っている。そこで玄宗が「何者か」となじると
「私は虚耗である。人の物を盗んでたわむれとし、他人の不幸をして喜びとする者である」と答えた。
ちょうどその時、とても大きな別の鬼が出てきて、小鬼を捕まえて喰ってしまった。
そして、
「私は南山の進士・鍾馗です。天下中の貧乏神や魔を祓う者です。」といった。
ここで玄宗皇帝の夢が覚めると同時に病気が癒った。
玄宗皇帝は画家の呉道子にその大鬼の像を描かせた。
これが、鍾馗図の始まりとされています。
以後、貧乏を駆遂する意味や、男児の将来の幸福・健康と出世の願いを込めて鍾馗像がかけられ、のぼりにかいて立てられるようになり、今日に伝えられています。
この掛け軸は、大雅堂オリジナルでH20年・石川ブランド優秀新製品に認定された、しろがね錫布目を土台に、江戸時代のだまし絵を写して製作した、掛け軸です。
掛け軸は通常、絵や書に表装を施して掛け軸に製作しますが、この掛け軸は、表装に似せた蒔絵を施し、掛け軸に見せているという、おもしろいもの・だまし絵です。
表装部分まで絵であるためにできる、抜け出したりぶら下がったりが、見る人を驚かせ、幻想の世界へいざないます。
鍾馗様が抜け出した「絵」の部分や、掛け軸の上下には、しろがね鈴布目の技法を活かしています。
しろがね錫布目の、布目の雰囲気は、素朴な温かみや紙の雰囲気を感じさせます。
この掛け軸は、形にもこだわって制作しています。
一枚板では、壁掛けとして使用するのに重くなり、収納時にも厄介です。
この掛け軸は、3つに分けることができ、また、移動や出し入れもしやすいよう
強度を保ちながらできるだけ軽くするよう、内部の構造にも工夫しています。
この掛け軸は、石川ブランド優秀新製品に認定されたしろがね錫布目の、美しい銀色・さびにくく、やけにくい性質・手入れ、使用が容易であることなどを活かし、縁起のいい鍾馗(しょうき)様を題材に仕上げた面白い趣向の、大雅堂オリジナル壁掛け型飾りです。
その縁起のいいいわれから、端午の節句はもちろん、年間を通じて掛けてお楽しみ下さい。
掛け軸型壁飾り しろがね鍾馗蒔絵
幅38 高150 厚み2.5 cm
88万円(税込)
若島基京雄(わかしまきみお)
全国を行商して歩いた祖父・父は、旅先で大変可愛がって頂き、現在でも祖父・父を知るお得意さまが多数ございます。
祖父・父は、「物がなくても売る」達人 営業マンでした。
お客様の前で輪島塗の器の仕上がりのイメージを、すらすらと絵に描いて見せ、仕上がった見本が無くても注文を取りました。器の形や色、蒔 絵・沈金の模様まで、その場で細かくうち合わせができ、仕上がった品は、大変お喜び頂いたそうです。
私もそうなりたいと、自己流ながら勉強し、輪島の技法の全てを頭にたたき込み、
お客様の求める物のイメージを形にしたい、と思っています。
現在は、器物の 形から、蒔絵・沈金の図案までお客様のご要望に合わせ、
自分で作図して制作にあたります。
頭の中で見える仕上がりの姿を、木地師から蒔絵・沈金師に細かく 指定し、
喜ばれる、そして末永く愛して頂ける輪島塗を生み出していきたいと考えております。
輪島漆器商工業協同組合 組合員
石川県輪島漆芸美術館 友の会 事務局長
合気道 奥能登合氣会 会長
輪島漆器大雅堂株式会社 代表取締役